「あっ」こんな一言で始まる嬉しい始まりもあれば、そのまた逆に悲しい終わりを迎えることも。
先月「おいしい畑」原稿を書きあげ、「今月も無事に書けたぞ!」とホッとした気持ちで夜を迎えたものの、夕飯後ふと「どこか直すところがあるのでは?」とパソコンを開き、句読点のチェックをしたり“てにをは”を直す直さない…とキーボードに手を伸ばしたら。
パソコン横に置いたワイングラスに手が微かに触れたなあ…そのグラスがグラリと傾いたなあ…なんて、「あっ」となりながらも、静かにその動きを見守ってしまった結果、グラスに残っていた少量のワインが「8」「9」「0」「Y」辺りにツツツと流れ…。
急いでグラスを持ち上げ、倒れたキーボードの周りを“こより”を使って、何度も往復させて拭きとり、それだけでは足りないかもとドライヤーでも乾かし、「とはいえ、まずは電源落としたほうが良いのかも?」なんて、パソコンから離れて一晩寝てみることして、翌朝復活を祈りながら電源を改めて入れると…。
奇跡的に「8」「9」のキーボードは復活したものの、暗証番号に必要な「0」は無言を決め込み、また濡れていないと思っていた「R」キー、打ってみるとまさかのコレ。
「いrつ」、何度打ってもこの表示。純粋なる「R」と打ちたいだけなのに…。
アップルストアに持ち込んで修理をお願いするも、「10年前のパソコンなんで、もうパーツがないんですよねー」。あの瞬間の「あっ」の数秒前に戻れたら…と後悔しつつ、最初で最後(であってほしい)の、ダブルキーボード使いでお届けします!
(と言うより、よくぞこれまで、飲み物を倒さずにパソコン仕事をしてたってもんだし、外付けキーボードを夫が持っててくれてありがとう!な話です)
緊急事態宣言が解除された直後、名古屋でテレビ生放送のお仕事が。
ならば!と前日、三重県鈴鹿にある実家に戻って母の顔を!と連絡すると、「帰るねー!」「何食べたいー?」、我が親子、毎回のやり取り。
せっかく地元に帰るなら、発酵白菜と春雨煮込みのおいしい、お気に入りの中華屋さんにも行きたいし、昔通ったうどんの“サガミ”できしめんとか、味噌煮込みうどんなんかを食べるのもいいねえ、いや、母が気になるお店に行くっていうのも大切よねえ…。
これまでならこんな風に、“どこに行って何を食べるかを決める”ことはその時のテンションで済ませてきたけど、いつだって繰り返せると信じていた日常が、状況により制限されうることを学んでしまうと、「冷静かつ後悔のない判断を!」。
今回の帰省では、“いつもの母の手料理”に甘えさせてもらうことにしました。
アイドルに憧れ、17歳で鈴鹿を離れ上京し、一人暮らしを始めた私。今となっては一緒に暮らしていた時間よりも、離れて過ごしている方がはるかに長くなっているものの、テーブルに並ぶのは、「おいしい!」「おかわり!」「レシピ教えて!」とはるか昔に母に伝えた料理ばかり。
昆布の煮物、豆腐の白和え、ポテトサラダ、そしてその昔、便秘がちだった私によく食べさせてくれたキンピラゴボウから始まり、「マグロなら食べられるでしょ?煮魚は自分じゃしないでしょ?」と、子供の頃に「これは好き!」と喜んだ、数少ないお魚アイテムまで揃えてくれたり、「味が落ち着くように昨日から煮込んでおいた」と、牛筋煮込みや酒粕入り豚汁は、鍋いっぱいに作っておいてくれました。
(卵焼きとキンパは、東京からの母へのお土産)
「カンパーイ!!」
どんな時でも美味しいと思う缶ビールが、この夜はさらに美味く喉の奥へ(しかもなかなか都内で出会えなかった、アサヒスーパードライ、生バージョン!)。
やっと会えた嬉しさ、好きなものを作って待っててくれた嬉しさ、昔から変わらない懐かしい味の嬉しさ…、お家ならではの嬉しいおいしい時間を、母のおかげで過ごすことが出来ました。
翌朝、テレビ局へと向かう私に、「これ、ヒロシさんへのお土産ね!」と、以前夫が好物だと母に伝えた“カニ”が渡され…。デビューして29年、初めて茹でたカニを背負って楽屋入りしたことも、いつの日か良き思い出となりますよう。
(こんなこともあろうかと、保冷バックを忍ばせて帰る娘にまで成長しましたよー!)